どん底からのぼれろ

痛みや悲しみを乗り越える時


睡眠障害状態が再び酷くなってしまった。昨夜も就寝は1時半過ぎで目覚めたのは3時頃。3時頃になると何故か必ず目が覚めて以降眠れなくなる。4時過ぎには野鳥がさえずり始めるので眠る気分にすらならず、5時前に太陽を数分間眺めてから夕食の下ごしらえを始める。これが常態化しつつある。

一応睡眠薬は持っている。実は昨夜、久々に睡眠薬に頼ったのだが、それでも3時に目が覚める。1錠では足りないということだろうか。ともあれ睡眠不足が続いており日中に凄まじい睡魔が襲ってくる。何とか改善しなくてはならないが、どうしたら良いものか・・・。

昨日、大切な人の伯母様が亡くなられたと知った。親族の訃報が続き、大切な人もお母様も大きなショックを受けているはず・・・こういった時に気の利いた言葉でお二人の悲しみを癒せる人間になりたいが、如何せん言葉が出てこない。大切な人の言葉から伝わる悲しみに、ただ心を痛めるしかできないのであった・・・。

身近な存在や大切な存在との死別は、遺された人の心に深い悲しみや痛みをもたらす。この悲しみを受け容れるには時間を要する。時間の経過と共に少しずつ癒され受け入れられた時、これらの経験がその人にとっての人生の柱のようなものになるという。

こういった、大切な存在との死別を経験しないままの者は、他者の痛みや苦しみが理解できない幼い精神のままであると言われる。これは大いに理解できる。何故なら私自身がそうだったからだ。

歪な家庭の一族に生まれた私は、親戚同士がいがみ合い憎しみ合う中で育ってきた。幼い頃から親戚付き合いがろくになく、親類の訃報を聞いても何の感情もわかなかった。唯一参加した伯父の葬儀では、久々に顔を合わせた親戚同士の大喧嘩が勃発したことくらいしか記憶にない。

だから私は、大切な存在を失った人の痛みや気持ちが今一つ分からなかった。事件に遭い伴侶を失った人が泣き崩れている映像を見ても、可哀想という気持ちくらいしか出てこなかったのである。痛みが分からないのだ。

その痛みがようやく分かり始めたのは、私がブリーダーから譲り受けて育てたペキニーズが2018年に虹の橋を渡った時かもしれない。我が子のような特別な存在だった。

環椎軸椎亜脱臼で最後は麻痺で歩けなくなり、さらに癌でこの世を去ったが、もっとしてあげられることがあったはずだと未だに後悔と自責の念に苛まれる。不思議なもので、時間が経てば経つほど悲しみや痛みが増してくる。それは今も変わらない。これを乗り越えた時に、私も少しは人間的に変化するのかもしれない。


昨年9月、大切な人のお父様が亡くなった時、お会いしたことはなく顔も知らない(後に写真を見せてもらった)のだが、私は自分で想像していた以上に大きな衝撃を受けた。

4年に渡り大切な人から定期的にお父様の話を聞いてきた中で、想像と言う形で人物像が膨らみ形成されて、私の中で存在感が確実に増していた。まったくお会いしたことがないのに、いつしか身近な存在に感じるようになっていた。それはお母様も同じで、正直な話、自分の親族よりもずっと大きな存在になっている。

だからだろうか。お父様が亡くなられた時、私も衝撃が大きくて自分で混乱した記憶がある。大切な人とお母様の悲しみや痛みが伝わってきたこともあるだろう。でも、それだけではない、自分自身の心の中で感じている痛みが確かにあった。そして悲しみを感じた。

大切な人を通して、私はまともな人間としての心、温かな血の通った人間の心を少しずつ形成し始めているのかもしれない。

話を冒頭に戻して、大切な人とお母様は大切な存在との別れに心を痛めている。私がその心を癒すことは難しいだろうけど、少しでもいい、精神的な支えになることが出来たらと思います。

 


そしてろくに人生経験がない者あるあるとして、こういった場合は香典を送らないといけないのでは?と思い買ってきて準備するが、よく考えたら喪主に送るとして喪主は誰?私みたいな謎の部外者が送るとかいいのか?と、昨夜ひとり悩み続けていたおっさんであった・・・😓

 

 


こういう時に聴きたくなるのは鞠川雪映(まりかわゆきえ)が奏でる優しい音色のエレクトーンと歌声である。元々はゲーム音楽を作っていたが、後に映画や商業施設イベントのBGMを手掛けるなど幅広く活動していたそうだ。

 

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この曲は、私が中学2年生の時に耳が腐るほど繰り返し聴いた。今では殆ど知る人がいないであろう「ノスタルジア1907」に付属していたサウンドトラックCDは今でも大切に持っている。

このゲームは何度も遊んだ。東野〇吾みたいな下手な小説よりも余程かよく出来た話と文章で面白かった。そして鞠川雪映を知り、続編も出ると聞いて期待していたが、PC98とFMタウンズという当時30万近くする国産PCでの続編登場となり遊ばないままとなってしまった。

続編「PRESENCE」はサイコサスペンスで、時代設定もまったく違う為に評価は良くなかったみたいだが、出荷本数が相当少なかったのか今ではプレミアがついてしまったようだ。そしてノスタルジアと同じくゲームにサントラCDが付属していたが、そのCD単体でも結構高値になっているみたいで・・・欲しいけどモノ自体が見つからない。


まあ、サントラ音源自体はネット上にありますがね、こちらも良い感じの曲です。ノスタルジアが時の流れと大海原なら、こちらは無限の大空に飛び立つ、か・・・。私もいつか、大空の向こうの虹の橋を渡ってわんこたちに会う日がくるのでしょうか。

まだまだ生きて、やらないといけないことが腐るほどあるけどね。まずキンキの京セラドーム押さえたい!😠