どん底からのぼれろ

人間観察の面白さ


今日の夕食はロシア産天然焼き鮭、トンテキというよく分からないメニューでございます。ご飯はもちろん、大切な人のお母様から頂いた「恋の予感」三分づきでございます。炊き立てで美味しそう。いただきます😌🙏


ここ数ヶ月、私は諸事情により、あるサービスで記事を書きながら人間観察を続けてきました。本音を言えば、限りある時間を無駄にしてしまう愚行であると感じながら続けてきた訳ですが、次第に人間の本質など様々なものが見えてきました。

例えば、現代の大人の精神的な未熟さといった部分。そんな彼ら彼女らを見て、自分の至らぬところに気付くことが出来るなど収穫もあり、決して無駄な時間ではなかったと思うようになりました。

人間観察をしていると、精神年齢が低いか、年齢相応かで人は大きく分けられることが分かってきます。働いているとか、家族がいるから精神年齢が大人かと言えば、必ずしもそうではないことも分かります。

成熟した大人とは、まず第1に、周囲に対して配慮や気配り、心遣いが出来る人を指すと私は思います。誰しも自分のことが一番可愛いという心理があるのは当然ですが、エゴを抑えて周囲に配慮が出来る人は精神的に成熟している大人と言えるでしょう。

成熟した大人としてのもう1つの条件は、自分が犯したミス・失態に対して、素直に認めて謝罪し、フォローできることではないでしょうか。ミスや失態を認めて受け入れ「ごめんなさい」「申し訳ありません」と心から謝罪できる、これはとても勇気がいることです。

一方で、精神年齢が低い子供みたいな大人とは、上記の真逆を行く人たちのことです。自分のことしか考えていない人などは典型です。

そういう人は、自分のミスや失態を絶対に認めず謝罪も出来ません。自分が問題を起こせば、責任を回避しようと言い訳に終始したり、酷い場合は証拠隠滅や隠蔽工作に走ることもあるでしょう。或いは責任転嫁をして自分を正当化する、無かったことにする、精神年齢が低い人はこういった行動に終始すると私は思っております。


問題のサービスで人間観察をしていると、精神年齢が非常に低い、それこそ子供のような大人がたくさんいることが分かります。パレートの法則に当てはめて言えば、そのカテゴリーを利用している人のうち、2割ほどは年齢相応の成熟した大人で、残り8割は精神年齢が極めて低い、未熟な大人たちで構成されていることが分かってきます。こういう言い方をするのはよくありませんが、キチガイだらけという感じです。

大切な人は、そこを見て精神的に参ってしまった訳です。見たくなくても腹が立ってつい見てしまう、という感じだったようです。この心理は私も分かるのです。嫌いなものほど惹かれてしまうことは人間の性と言えます。その性質を利用したものが炎上ビジネスです。プロレスでいうヒールの存在に似ているかもしれません。一流のヒールは客を集めますからね。

件のサービスを利用する人間を私は適当に観察してきた訳ですが、その多くが極度に自分のことが可愛いという利己的な人という印象です。SNS、ブログ、個人ウェブサイトを運営する以上、私も含めてそういった心理は多少なりともあるでしょう。ただ、件のサービスは酷いもので、私と同世代のいい歳をした大人たちが、自己愛丸出しの歪なマウントごっこを展開している訳です。

面白いのは、細分化されたカテゴリーの内の1つという仮想閉鎖空間の中で、精神年齢が低い者同士で群れを形成していくのです。その中で発信力が強い者、つまりマウント合戦の勝者がボスとなりヒエラルキー秩序を作り出していくのですが、まるで学校内のいじめっ子が集団化していく過程を見ているようで非常に面白いものがありました。

群れたがる人は基本的に精神年齢が低い傾向にあります。これは仏教の教えにも確かあったはずで、釈迦がどうして父親の跡を継がず俗世から離れたか、その理由の1つでもあったと思います。精神的に成熟した人ほど、他者の未熟な部分、愚かな部分が見えてしまい、その人たちの精神レベルに合わせていくことが辛くなるのです。ゆえに孤高の人生を歩みやすくなります。

群れや集団とは、同じ意見や考えを持つ、同レベルの者同士が集まり形成されるコミュニティ(共同体)です。自立した意志を持たぬ者にとって、同じような者と群れることは安心感に繋がります。

その安心感を維持していく為に、例えばネット(SNSやブログ)の世界だと、互いに褒め合い「いいね」を押し合う互助的な行為を始めます。自立した意志を持たないのですから、誰かから評価されないと安心できない、満たされない、幸福感を得られない訳です。

いじめ集団にせよ、ヤンキーや半グレ集団にせよ、例のサービスの群れにせよ、集団を作ることで「仲間がいる安心感」が生まれ、次に集団心理が芽生え、それが次第に強気な攻撃性に変化します。

自分たちのコミュニティに属さない者を敵視し、少しでも敵対行為があれば排除しにかかる訳です。昔も今も、政治の世界でも、果てはディープステートに至るまで、大なり小なり人間はどの世界でも派閥を作り派閥闘争を行っています。釈迦は、そんな俗世に嫌気が差して孤高の道を歩んだのでございます。


で、件のサービスでも案の定、精神年齢が低い者同士で形成された集団が、群れに属さぬ人たちに牙を向いてきた、という展開が起こりました。一連の騒動に私も遊び半分で加わりながら観察を継続していたのですが、釈迦の気持ちが非常に良く分かる心境でした。低俗な者の争いの中に身を置くと、自身の精神レベルが落ちていく感覚に陥ります。そんな人たちを相手に真剣になってしまったら終わりです。

問題の集団のボスは、他の人たちの反感を買うことで逆に追い詰められました。ここでどう対応するかで、その人の精神年齢が分かる訳です。ボスは、逆ギレ→責任転嫁→逃走→開き直りと、精神年齢が低い人が取る行動パターンの例を見事に踏襲して今に至ります。仲間も同じ行動でした。これ、見ていて非常に面白かったんですよ。勉強になりました。そろそろ飽きてきましたけどね😪

観察をしていくことで、私自身の客観視にも繋がり色々と学ぶことがありましたね、私もまだまだ大人として未熟であり、偉そうに言えるほどの人間ではありません。人の行いを見て自分を正していけるよう、今後も自分磨きをしていかねばなりません。最後には霞を食えるようにならねば。冗談だし😑


霞ではなく野菜たっぷり亜麻仁油入り味噌汁を食べていたらそれでええ。以前の私は、自分の考えや意思を全く持たない人間でした。だからコミュニティに属したくて仕方が無かった。そうしてコミュニティに属し、浅く広い関係性の友達が多く出来ました。

大切な人と出会ったことで私が変わった部分の1つと言えば、コミュニティに属して安心感を得たいという心理が消えたことでしょう。彼女は自立した意志を持つ、群れることを嫌う人です。そういう面でも大きな影響を受けました。互いの価値観を認め合える心から大切と思える人がいたら、それが本当の幸せであると考えるようになりました。

私は大切な人から多くのことを学び、精神的にも大きく成長させてもらっています。それは今も尚そうです。多大な感謝の念を抱いています。ゆえに、彼女の為に残りの人生を捧げる決意にも繋がります。互いに与え合える関係とは、精神的に大人の関係と言えるものです。


そのカテゴリー内に、群れを成している訳ではないのですが観察対象の中年女性がいまして、確か出会い系サイトで出会った男に金銭を貢いできた、だったか。連絡がなかなかつかず、滅多に会ってもらえないけど、相手が金の無心をしてくる時だけ迅速に連絡が取れるという・・・どう考えてもATMとして都合よく利用されているのですが、本人は恋人という体でエピソードを強引に進めていきます。

ところがある日、彼女は大病を患ってしまった。治療費が必要な為、返済のお願いをした途端、男は貸した金を返さないまま音信不通になった、という哀れな展開となっているようです。

この人のコメント欄には、多くの励ましと、彼女の親切心を踏みにじった男に対する怒りのコメントなどが散見されるのですが、そもそも親切心の意味を間違って捉えている人が多い証拠でしょう。彼女が行った行為は、男に愛されたい、振り向いてもらいたいという欲による布施の行為です。ホストなどに貢ぐ行為と同じです。

これは親切による布施とはいいません。だから相手は最初から利用するつもりで舐めていただろうし、最後は踏み倒される結末になるのです。欲や下心からくる布施の結末は多くがこのパターンです。本当の布施は、恩がある人への恩返しの意味や、本当の意味で困っている人への救済という意味があります。

エガちゃんとか岡本夏生などは、本当の意味で親切心による布施の行為ですよね。その結果、後々になりその人たちの世間的な評価など大きな功徳となって戻ってきていることが分かります。私も、大切な人とお母様に多大な親切と善意の施しを受けて救われた身なので、その御恩に報いることが人生の目標の1つとなっています。頑張る!😾


って、今日も長々と4000文字近く書いていたらこんな時間になってもうたぁ!でも、人間観察や分析は本当に面白いものです。皆さんも是非、面白そうな観察対象を見つけてお子様の夏休みの自由研究課題の題材として取り上げてみては如何でしょう。SNSとか香ばしくて面白いのがたくさんいますよ。以上です、寝なくては!😱